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『
ANNニュース 202/03/11
http://www.youtube.com/watch?v=Vp1QwXXjPqs&feature=player_embedded
天皇陛下 東日本大震災追悼式典でのお言葉(12/03/11)
』
日本時間 午後02:46 黙祷
『
ウォールストリートジャーナル 2012年 3月 11日 16:06 JST
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_406110
冥福祈り、政府が追悼式=首相「復興が歴史的使命」―東日本大震災から1年
1万9000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から1年を迎えた11日、政府主催の追悼式が国立劇場(東京都千代田区)で営まれた。
天皇、皇后両陛下、野田佳彦首相ら三権の長、被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の遺族代表ら約1200人が参列。
首相は、ふるさと再生への決意を述べた。
被災地などでも追悼式を開催。震災発生時刻の午後2時46分、全国の式典会場で参列者らが黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。
政府の追悼式では、黙とうに続いて、首相が式辞を述べ、ふるさと再生、教訓の伝承、助け合いの心を忘れないという三つを「み霊に誓う」と表明。
被災者と
「共に手を携えて『復興を通じた日本の再生』という歴史的な使命を果たしていく」
と強調した。
天皇陛下は
「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」
とのお言葉を述べられた。
心臓の冠動脈バイパス手術を受け療養中の陛下は、時間を当初の半分に短縮して出席された。
衆参両院議長、最高裁長官の追悼の辞に続き、被災3県の遺族代表がそれぞれ言葉を述べ、岩手県大槌町の川口博美さん(62)は
「震災の教訓を風化させることなく、後世に語り継ぎ、一歩ずつ故郷の復興にまい進する」
と誓った。
追悼式には、国会議員や地方自治体関係者、民間団体代表らのほか、ルース駐日米大使ら各国大使も参列。
自然災害による追悼式を国が主催するのは初めて。
一方、岩手、宮城、福島各県などの被災地を含む10県の各市町村でも追悼式が開かれ、政府主催追悼式の映像が同時中継された。東京と被災地が一つとなって、鎮魂と復興を願い祈りをささげた。
』
『
NICHOGO PRESS 2012年3月11日
http://nichigopress.jp/ausnews/world/35875/
東日本大震災から1年、豪首相、日本国民讃える
「被災民の冷静さ、勇気、忍耐力を忘れられない」
3月11日、マグニチュード9.0の大地震に続いて沿岸の市町村を呑み込んでいく津波というすさまじい自然の脅威の映像が世界中を震撼させた東日本大震災から1年。
確認されている死者は15,854人、行方不明者は3,155人、
自然災害に伴う原発事故の放射能汚染の影響も含め、
34万人が未だに定住の地に帰れない状態
が続いている。
同日、ジュリア・ギラード豪首相は、日本国民の勇気と生活再建に向けて努力を続ける勇気を称賛する声明を発表した。
「この日は、日本国民にとって悲痛な思い出の日。
ここにオーストラリア全国民を代表し、この大災害で家族や友人を失われた人々に心からの哀悼の意を表したいと思います」
と述べ、災害からしばらくして日本を訪問、被災地を視察した時に直接体験した現場の状況や人の姿に触れ、
「初の外国首脳として被災地を訪れ、南三陸の海辺の町の恐ろしいほどの破壊の跡を目撃した。
町全体が押し流され、大勢の人が命を失った。
あの破壊と損失の想像を絶する光景を忘れることはできない。
また、被災直後から再建復興に向けて心を合わせる日本の人々の冷静な姿を私は生涯忘れられない。
その勇気と忍耐力はオーストラリア国民の心を揺さぶった」
と述べている。
さらに、大震災の前月に起きたニュージーランドのクライストチャーチ地震の生き埋め市民捜索から帰国し、旅支度も解かないまま宮城県に飛んだ都市救助チームなどオーストラリアの緊急救援隊員の尽力、直後から被災地救済募金に惜しみなく応えたオーストラリア国民も讃えた。
政府主催の一周年追悼式は、天皇、皇后両陛下を迎え、野田佳彦首相、遺族ら1,200人も出席して開かれる。
ブルース・ミラー豪駐日大使もオーストラリアを代表して追悼式に出席する。
また、1,000人を超える死者を出し、町並みが壊滅した南三陸町で開かれる追悼式には、豪国防軍副司令官のマーク・ビンスキン空将、NSW州消防局のロブ・マクニール総監がオーストラリアを代表して出席する。
』
ゴールドコーストでは。
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東日本大震災(Ⅷ)
東北大津波のメデイア記録をとっておく
2012年3月11日日曜日
感謝記事掲載:台湾 & 韓国
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● 台湾紙に掲載された感謝記事
『
フォーカス台湾 2012/03/11 13:48:46
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203110001
震災から1年 日本の対台窓口、台湾各紙に感謝広告
(台北 11日 中央社)
東日本大震災から1年を迎えたきょう11日、交流協会(日本の対台湾窓口機関)は、台北事務所の今井正代表(大使)および高雄事務所の野中薫所長(総領事)の連名で、台湾の主要各紙に感謝広告を掲載した。
復興に取り組む被災地や被災者の写真を添えた感謝メッセージは、日本語と中国語でそれぞれ、台湾からの被災支援に感謝を表明するとともに、日台関係の重要性にも言及、また日本の復興の歩みをアピールし、安心して訪日して欲しいと呼びかける内容になっている。
新聞広告は明日も予定されており、被災者からの感謝メッセージが掲載されることになっている。
今回の震災では、台湾から200億円を超える義捐金が寄せられ、自発的なチャリティーイベントや支援活動なども熱心に行われた。
交流協会では震災1年を機に、新聞広告のほか、テレビの特別番組およびCM、映画上映などで台湾への感謝を伝える。
』
『
フォーカス台湾 2012/03/10 19:34:44
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203100008
震災から1年 あす台湾で一斉に「謝謝台湾」
(台北 10日 中央社)
東日本大震災からまる1年となるあす11日、台湾からの支援に感謝を伝えるためのテレビCMが台湾全土で一斉に放送される。
交流協会台北事務所(日本大使館に相当)による特別事業で、海外でこうした活動が行われるのは台湾のみ。
今回の震災では、台湾から200億円を超える世界最多の義捐金が寄せられ、その多くは民間からだったという。
自発的なチャリティーイベントや支援活動なども熱心に行われた。
交流協会台北事務所では、震災から1年を迎えるのを機に、テレビの特別番組およびCM、新聞広告、映画上映などの方法を通し、台湾への感謝を伝える。
CMは台湾の主要各局で11日から17日まで一斉に流され、震災当日に生まれた赤ちゃんや、中学生、木工職人、漁師など、震災を乗り越えて生きる被災地の人々が、実体験を元に、台湾に感謝のメッセージを伝えている。
これらのメッセージは、12日の台湾各紙にも新聞広告として掲載される。
また「民視新聞台」では10日よる9時55分から、1時間の特番を組み、台湾芸術大学の学生が、復興に向かう被災地を記録する姿を紹介、また「中天娯楽台」では11日よる7時から1時間、日台のテレビ局による初の合同製作番組「元気日本、謝謝台湾」を放送する。(いずれも再放送あり)
16日と23日には中正紀念堂(台北市)で、日本の映画
「がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~」
「カルテット」
の2本が無料上映される。
日本政府は震災発生から1カ月後、米英仏中韓露の世界7紙に被災支援への感謝広告を掲載したが台湾紙への掲載はなく、これに異を唱えた日本の民間有志が台湾各紙に独自に感謝広告を掲載した経緯がある。
』
『
時事.com 2012/03/09-07:11
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012030900077
「温かい支援を忘れない」=大震災1年で感謝の新聞広告-在韓大使館
【ソウル時事】在韓国日本大使館は11日に東日本大震災から1年となるのを前に、9日付の韓国紙、中央日報、朝鮮日報、東亜日報に「最初に温かい手を差し伸べてくれた韓国国民の皆さんを日本国民は永遠に忘れない」と謝意を表す広告を掲載した。
韓国では、政府が真っ先に救援隊を派遣しただけでなく、国民挙げて義援金を提供する動きが広がった。
広告には、絵を描く被災地域の子どもや復旧した仙台空港、昨年世界遺産登録が決定した岩手・平泉の中尊寺など6枚の写真を掲載し、着実に復興が進み、観光地として魅力に富んでいることもアピール。
「ぜひ日本を訪ね、活気に満ちた姿を確認してください。
私たちは皆さんと手をつなぎ、ともに前進したいと思っています」
と強調している。
』
『
ANNニュース
』
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● 台湾紙に掲載された感謝記事
『
フォーカス台湾 2012/03/11 13:48:46
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203110001
震災から1年 日本の対台窓口、台湾各紙に感謝広告
(台北 11日 中央社)
東日本大震災から1年を迎えたきょう11日、交流協会(日本の対台湾窓口機関)は、台北事務所の今井正代表(大使)および高雄事務所の野中薫所長(総領事)の連名で、台湾の主要各紙に感謝広告を掲載した。
復興に取り組む被災地や被災者の写真を添えた感謝メッセージは、日本語と中国語でそれぞれ、台湾からの被災支援に感謝を表明するとともに、日台関係の重要性にも言及、また日本の復興の歩みをアピールし、安心して訪日して欲しいと呼びかける内容になっている。
新聞広告は明日も予定されており、被災者からの感謝メッセージが掲載されることになっている。
今回の震災では、台湾から200億円を超える義捐金が寄せられ、自発的なチャリティーイベントや支援活動なども熱心に行われた。
交流協会では震災1年を機に、新聞広告のほか、テレビの特別番組およびCM、映画上映などで台湾への感謝を伝える。
』
『
フォーカス台湾 2012/03/10 19:34:44
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203100008
震災から1年 あす台湾で一斉に「謝謝台湾」
(台北 10日 中央社)
東日本大震災からまる1年となるあす11日、台湾からの支援に感謝を伝えるためのテレビCMが台湾全土で一斉に放送される。
交流協会台北事務所(日本大使館に相当)による特別事業で、海外でこうした活動が行われるのは台湾のみ。
今回の震災では、台湾から200億円を超える世界最多の義捐金が寄せられ、その多くは民間からだったという。
自発的なチャリティーイベントや支援活動なども熱心に行われた。
交流協会台北事務所では、震災から1年を迎えるのを機に、テレビの特別番組およびCM、新聞広告、映画上映などの方法を通し、台湾への感謝を伝える。
CMは台湾の主要各局で11日から17日まで一斉に流され、震災当日に生まれた赤ちゃんや、中学生、木工職人、漁師など、震災を乗り越えて生きる被災地の人々が、実体験を元に、台湾に感謝のメッセージを伝えている。
これらのメッセージは、12日の台湾各紙にも新聞広告として掲載される。
また「民視新聞台」では10日よる9時55分から、1時間の特番を組み、台湾芸術大学の学生が、復興に向かう被災地を記録する姿を紹介、また「中天娯楽台」では11日よる7時から1時間、日台のテレビ局による初の合同製作番組「元気日本、謝謝台湾」を放送する。(いずれも再放送あり)
16日と23日には中正紀念堂(台北市)で、日本の映画
「がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~」
「カルテット」
の2本が無料上映される。
日本政府は震災発生から1カ月後、米英仏中韓露の世界7紙に被災支援への感謝広告を掲載したが台湾紙への掲載はなく、これに異を唱えた日本の民間有志が台湾各紙に独自に感謝広告を掲載した経緯がある。
』
『
時事.com 2012/03/09-07:11
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012030900077
「温かい支援を忘れない」=大震災1年で感謝の新聞広告-在韓大使館
【ソウル時事】在韓国日本大使館は11日に東日本大震災から1年となるのを前に、9日付の韓国紙、中央日報、朝鮮日報、東亜日報に「最初に温かい手を差し伸べてくれた韓国国民の皆さんを日本国民は永遠に忘れない」と謝意を表す広告を掲載した。
韓国では、政府が真っ先に救援隊を派遣しただけでなく、国民挙げて義援金を提供する動きが広がった。
広告には、絵を描く被災地域の子どもや復旧した仙台空港、昨年世界遺産登録が決定した岩手・平泉の中尊寺など6枚の写真を掲載し、着実に復興が進み、観光地として魅力に富んでいることもアピール。
「ぜひ日本を訪ね、活気に満ちた姿を確認してください。
私たちは皆さんと手をつなぎ、ともに前進したいと思っています」
と強調している。
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『
ANNニュース
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東日本巨大地震:日本に広まる「脱成長論」:下山の思想
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● 「下山の思想」
● 下山の思想との戦い
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/11 09:18
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/11/2012031100131.html
東日本巨大地震:日本に広まる「脱成長論」
「成長に執着せずゆっくり下山」
「丘の上の雲を追い、山を登ってみたが、雲はなかった」
作家の五木寛之氏が書いた随筆集『下山の思想』が、福島第一原子力発電所の事故で衝撃を受けた日本人の心を捕らえ、ベストセラーとなり話題を呼んでいる。
同書籍は、
「成長」から「脱成長」へのパラダイムの転換
を促す内容となっている。
低出産・高齢化を迎えた日本では、
これ以上無理な成長を求めてはならない
というわけだ。
これまで日本は原発を大量に建設するなど成長政策を掲げてきたが、バブルが崩壊して以降の20年間で実質賃金は低下したほか、非正規職も増加し、揚げ句の果てには原発事故という悲劇を招いた。
五木氏は
「頂上に到達すれば、山を降りるのが道理だ。
今後日本は下り坂をいかにうまく下れるかがポイントとなる」
と説く。
『下山の思想』に代表される「脱成長論」は、原発事故をきっかけに政界、財界、言論界などにも拡大し始めている。
昭和大学のスドウ・ノブヒコ教授は
「人類史上、初の被爆国であり“地震多発国”である日本は当初、どの国よりも“放射能コンプレックス”が強かったが、成長のためには電気を大量に安く供給することが必要だという名分にのっとって、原発大国になった。
しかし、今では原発事故をきっかけに、原発に象徴される成長主義に対する懐疑論が広がっている」
と話す。
■経済危機論にも原発の再稼動に対する反発は根強く
福島の原発事故以来、日本の原発54基のうち52基が運転を取りやめている。
4月には定期点検のため残りの2基も稼動を中止する予定だ。
原発事故の恐怖もあって、今後は長い間、再稼動に踏み切らない可能性が高い。
だが、原発の稼動を中止したことで、代替発電のためのLNG(液化天然ガス)や石油の輸入が増加し、日本の貿易赤字は拡大した。
企業向け電気料金は4月から17%上昇する。
企業は
「こんなに電気料金が高いと、工場の稼動を中止するほかなく、輸出はできない」
と原発の早期再稼動を要求している。
しかし、最近行われたNHKの世論調査によると、
原発の再稼動に対し「賛成」(22%)よりも「反対」(36%)の意見が多かった。
枝野幸男・経済産業相は
「原発に対する恐怖心が残っている状況で、果たして原発を再稼動することができるのか」
と問い掛ける。
成長重視の立場を固守してきた政治家と企業家でさえ、原発依存型の成長には反発している。
大阪市の橋下徹市長は
「原発のない世の中というものがどのようなものなのか、試すことができる良いチャンス」
とし、脱原発の立場を明確に表明している。
企業家では、ソフトバンクの孫正義社長やインターネット総合サービス「楽天」の三木谷浩史社長などが脱原発派として知られる。
朝日新聞や毎日新聞なども社説を通じて「脱原発・脱成長」を主張している。
毎日新聞の中島哲夫論説委員は
「原発事故をきっかけに“成長しないとしても、もう少し安全に暮したい”という人々が大幅に増えた」
と説明する。
■輸出の割合は小さく投資による収益は高いという自信
このように脱原発・脱成長論が拡散している背景には、
経済構造に対する日本の自信
も見え隠れする。
日本は輸出大国だというが、実際には
輸出が経済に占める割合はわずか10%台
にすぎない。
輸出を通じた成長よりも内需による市場拡大がむしろ現実的で国民の幸せに寄与する、
といった論理だ。
次期首相候補に挙げられている枝野幸男・経済産業相は
「輸出を通じて成長しようとすれば、価格競争力を確保するために賃金の引き下げは避けられず、企業が成長しても国内の雇用にはつながらない」
と主張する。
枝野氏は政府の予算を医療や福祉、教育、新エネルギーなどに集中投資して、内需産業を育成していかなければならないとの立場だ。
また、膨大な所得収支も脱成長論を裏付けている。
日本は昨年の貿易収支が31年ぶりに「1兆6000億円」の赤字となったのに対し、
海外投資および海外工場の配当金などによる所得収支は「14兆円」の黒字となった。
賃金を低下させ雇用条件を悪化させる輸出中心の成長政策よりは、
「1兆3000億ドル(約105兆円)」に上る莫大な外貨準備高を投資に回すだけでも、国民は十分に幸せになれるというわけだ。
しかし、成長のない福祉や内需市場の拡大はそもそも無意味だとの反論も多い。
慶応大学の竹中平蔵教授は
「成長しなければ、若者の働き口の確保も不可能で、福祉水準も低下するほかない。
脱成長とは皆で貧乏になろうという主張にほかならない」
と断言する。
高齢化により国家負債が急増している中で、企業の競争力低下による貿易赤字までが拡大した場合、国債価格が暴落すると共に金利が急上昇し、結局は日本も不渡りを出すことになると懸念する声もある。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/11 09:09
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/11/2012031100101.html
【社説】福島の事故から1年、韓国の原発は安全か
福島第一原子力発電所の事故から1年になる。
この間、韓国の原発21基は、安全性が高まったといえるだろうか。
国民はこの問い掛けに対する答えをいまだに得られていない。
れわれは原子力に替わる代替エネルギーと再生エネルギーの開発に向け、以前より熱心に取り組み、近い将来その成果が出るはずだと期待できるのだろうか。
これに対する答えもやはり「いいえ」だ。
福島第一原発の周辺は地獄のような状況だ。
乳牛は、水を一口飲もうと干上がった水路に落ちてもがき、放射線に被ばくしたペットたちが人けのない道をさまよい、牛や豚の死骸があちこちに横たわって腐敗している。
田畑には背の高さほどに伸びた雑草だけが生い茂っている。
海辺に位置する福島第一原発から半径20キロ以内の地域、628平方キロメートルは立ち入り禁止区域となっている。
ソウル(605平方キロメートル)よりも広い地域がゴーストタウンと化しているのだ。
東京の人々は九州から米を取り寄せ、水道水が怖いためミネラルウォーターを購入して飲む。
原発事故前に製造された缶詰だけを子どもに食べさせるという主婦も多い。
日本政府は、今後10年間の復興費用を23兆円と見積もっている。
世界の原子力発電は、福島原発のような事故が今後二度と起こらないという確信、「ノー・モア・フクシマ」を各国の国民にしっかりと植え付けることができなければ未来がない。
福島の事故の衝撃で、韓国よりも技術が進んでいるドイツは2022年までに、スイスも34年までに原発を全て閉鎖すると宣言し、原発に替わる新しいエネルギー源の研究開発に国家の総力を上げて取り組んでいる。
日本も原発54基のうち52基が運転を停止しており、来月までには残りの2基も定期点検のため稼働を中断する予定で、全ての原発が停止した状態を迎える。
これは、現在の状況では原発の安全性を確信できないからだ。
韓国政府は福島の事故以降、原発21基に対する緊急点検を行った。
昨年7月にはIAEA(国際原子力機関)専門家チ-ムによる安全点検も実施した。
また、古里原発(釜山)の海岸防護壁を高くしたほか、地震発生時に原子炉が自動停止するシステムを設置し、非常発電設備を増やすなど、46種の短期的、中期的対策を進めてきた。
昨年10月には大統領直属の原子力安全委員会も発足した。
しかし、委員長は原子力産業の振興に生涯をささげてきた人物で、その後、委員会が現在の原発の状況に対する検査や規制基準をさらに強化したという話も出ていない。
このような中で、国民の原発への不信感は膨らんだのかしぼんだのか分からない状況だ。
IAEAが新たに打ち出した目標では、
1...原子炉の燃料が溶けるメルトダウン(炉心溶融)は、原発を1万年稼働した場合に1回、
2...原子炉格納容器の破壊により放射性物質が大量に放出される重大災害は、10万年稼働した場合に1回
発生するレベルにまで原発の安全性をさらに高めるとしている。
しかし、1956年に原発が稼働を開始して以来、スリーマイル島(1979年)とチェルノブイリ(1986年)の原発で各1基、今回の福島第一原発で原子炉3基の炉心溶融事故が発生した。
このうちスリーマイル島を除いた4回は、放射性物質の大量流出という大惨事をもたらした。
IAEAが目標とする3‐28倍もの炉心溶融や放射性物質の大量流出事故が発生したことになる。
こうした現実を踏まえ、韓国も安心できる状況ではない。
韓国の電力事情は、酷暑期、酷寒期の区別なく、何かにつけて電力不足に陥っている。
これには、電力需要に対する長期予測がずさんなことや、火力発電であれ、水力発電であれ、区別なく建設反対を訴える環境団体や地域住民の激しい闘争に阻まれ、発電所建設が難しいという背景がある。
韓国の昨年の1人当たりの年間電力消費量は9510キロワット時で、韓国より所得がはるかに高い日本(8110キロワット時)やドイツ(7108キロワット時)よりも多い。
家庭の電気料金は欧州国家の35%、産業用電気は42%という水準だ。
福島の原発事故以降、韓国の産業界も国民も何一つ変わっていないことになる。
このような状況に追い込まれた政府は、
電力の原発依存率を現行基準の31%から2030年までに59%に引き上げる
という従来の計画に沿って昨年末、江原道三陟、慶尚北道ヨンドク郡の2カ所にそれぞれ原発4基を建設するという計画を打ち出した。
政府はさらに、
米国やフランスと共に世界3大原子力大国を目指す
という新たな目標も打ち立てた。
韓国社会の一部ではすでに、原発反対の運動が起きている。
このような状況で万が一小さな事故でも起きた場合、全ての原発と原子力産業は重大な局面を迎えるだろう。
政府と原子力産業界は、原発の安全性に関する国民の信頼を高める画期的な短期、中期、長期的対策を打ち出さなければならない。
われわれは総発電量の31%を原発に依存しており、他国のように脱原発を唱えられる状況ではない。
しかし福島の1年を見守ってきた今、われわれは政府、政界、産業界、学界はもちろんのこと、全国民が共に変わる必要があるということを切実に感じる。
福島の事故を身近で起きた事実として受け止め、韓国のエネルギー構成については「安全でクリーンなエネルギー」を中心とした代案的マスタープランを打ち出し、長期的に段階を踏んで変更を重ねつつ未来に備えるべきだ。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/10 13:13
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/10/2012031000607.html
柳井正氏「このままでは日本は没落する」
柳井正・ファーストリテイリング会長インタビュー
「東日本大震災という危機をきっかけとして、政府と企業が大きく変わると期待した。
しかし、1年を過ぎても何も変わっていない。
政府は一体何をしているのか分からない。このままでは日本は没落する」
カジュアル衣料ブランド「ユニクロ」を世界的なブランドに育て上げたファーストリテイリングの柳井正会長(63)は8日、東京都内で本紙の単独インタビューに応じ、
「政治家に危機意識がない。
ばかみたいなことばかりしている」
と不満を漏らした。
経済誌フォーブスが今年の日本の富豪1位に選んだ柳井会長は、社内での英語共用化、国籍を問わない社員採用など、日本企業の革新をリードしている。
早大卒の柳井会長は、山口県の地方都市で父の衣料品店を経営した経験を基に、1984年にユニクロ1号店を出店した。
ファーストリテイリングは現在、年商8200億円、営業利益率14%を超え、日本の代表的な優良企業に数えられる。
柳井会長は自分の人生を「1勝9敗」と振り返るほど、失敗は多かったが、失敗をばねにチャレンジを繰り返したことが成功の秘訣(ひけつ)だと話した。
以下はインタビューの一問一答。
―日本政府の災害復興事業に関する評価は。
「信じられないほど遅くていらいらする。
政府が昨年12月に原発事故収束を宣言したが、現地住民も日本国民も信じなかった。
こんなばかみたいなことがあるだろうか。
原発事故は明らかな事故だ。
事故を起こした東京電力と経済産業省は誰も責任を取らない。
そんな彼らが審査を行い、安全だと言って、原発を再稼働しても誰が信じるか。
安全性を客観的に検証した後で稼働すべきだ」
―危機をきっかけに日本は飛躍できるのか。
「日本が危機をうまく克服し、一段階飛躍することができるという期待もした。
しかし、1年が過ぎても、政府も企業も変わらない。
家電など代表的な企業が海外で稼げずにおり、地震の復興作業も遅れている。
資源がない日本が外で稼げなければ、没落するしかない」
―日本の政治をどう評価するか。
「めちゃくちゃだ。
当面の課題が数多くあるが、やろうとしていない。
こんなばかみたいな政治をしていれば日本は滅ぶ。
政治家はまだ現実を知らず、『日本の富』がこのまま維持されると錯覚している。
選挙だけを考え、日本の未来を心配する政治家はいない。
政治がカネを稼がずに分配だけ考えたのでは、北朝鮮のようになってしまう」
―日本企業が赤字を出す理由は。
「日本企業はリスクにチャレンジしていない。
一国の経済がグローバル経済へと進化し、企業と個人に大きなチャンスが訪れた。
地方都市で衣料品を商っていたユニクロも世界を相手にしている。
しかし、多くの日本企業は過去のままだ。
日本企業が体質を変えれば、十分に競争力がある。
企業の最高経営責任者(CEO)がサラリーマンに転落し、自分のポストだけ守ろうとし、チャレンジをしていない。
全てを変えようとしたサムスンは結局、世界的な企業になったではないか」
―社内で英語共用化を実施した理由は。
「売国だの、日本文化を抹殺しようとしているだのという批判もあった。
しかし、世界を相手にビジネスをするには英語は必須だ。
少子高齢化で日本の衣類産業は斜陽産業だ。
アジアなど世界を攻略すれば成長産業だ。
国籍に関係なく有能な人材を採用しなければ、ユニクロも成長し続けることはできない」
―障害者雇用率(8%)が高い理由は。
「当初は店の業務に支障が生じるかもしれないと考えたこともあった。
しかし、従業員が障害者に配慮し、チームワークが高まり、障害者を雇用した店舗の業務成果が良かった。
1店舗当たり1人を雇用している。
障害者の親から感謝の手紙が届くとやりがいを感じる」
―資本主義危機論についてどう思うか。
「社会主義は成功しただろうか。
資本主義にもさまざまな問題がある。
企業は懸命にカネを稼ぎ、税金を払い、雇用も社会貢献もしなければならない。
資源がない日本や韓国が輸出でカネを稼がなければ終わりだ」
―若者の働き口がないが。
「良い企業ばかりを探す若者にも問題がある。
会社を選ぶのではなく、一生やる仕事を探すべきだ。
日本国内に仕事がないというが、アジアに目を向ければいくらでもある。
日本の若者は韓国よりもハングリー精神が足りず、海外に目を向けないことが心配だ」
』
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● 「下山の思想」
● 下山の思想との戦い
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/11 09:18
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/11/2012031100131.html
東日本巨大地震:日本に広まる「脱成長論」
「成長に執着せずゆっくり下山」
「丘の上の雲を追い、山を登ってみたが、雲はなかった」
作家の五木寛之氏が書いた随筆集『下山の思想』が、福島第一原子力発電所の事故で衝撃を受けた日本人の心を捕らえ、ベストセラーとなり話題を呼んでいる。
同書籍は、
「成長」から「脱成長」へのパラダイムの転換
を促す内容となっている。
低出産・高齢化を迎えた日本では、
これ以上無理な成長を求めてはならない
というわけだ。
これまで日本は原発を大量に建設するなど成長政策を掲げてきたが、バブルが崩壊して以降の20年間で実質賃金は低下したほか、非正規職も増加し、揚げ句の果てには原発事故という悲劇を招いた。
五木氏は
「頂上に到達すれば、山を降りるのが道理だ。
今後日本は下り坂をいかにうまく下れるかがポイントとなる」
と説く。
『下山の思想』に代表される「脱成長論」は、原発事故をきっかけに政界、財界、言論界などにも拡大し始めている。
昭和大学のスドウ・ノブヒコ教授は
「人類史上、初の被爆国であり“地震多発国”である日本は当初、どの国よりも“放射能コンプレックス”が強かったが、成長のためには電気を大量に安く供給することが必要だという名分にのっとって、原発大国になった。
しかし、今では原発事故をきっかけに、原発に象徴される成長主義に対する懐疑論が広がっている」
と話す。
■経済危機論にも原発の再稼動に対する反発は根強く
福島の原発事故以来、日本の原発54基のうち52基が運転を取りやめている。
4月には定期点検のため残りの2基も稼動を中止する予定だ。
原発事故の恐怖もあって、今後は長い間、再稼動に踏み切らない可能性が高い。
だが、原発の稼動を中止したことで、代替発電のためのLNG(液化天然ガス)や石油の輸入が増加し、日本の貿易赤字は拡大した。
企業向け電気料金は4月から17%上昇する。
企業は
「こんなに電気料金が高いと、工場の稼動を中止するほかなく、輸出はできない」
と原発の早期再稼動を要求している。
しかし、最近行われたNHKの世論調査によると、
原発の再稼動に対し「賛成」(22%)よりも「反対」(36%)の意見が多かった。
枝野幸男・経済産業相は
「原発に対する恐怖心が残っている状況で、果たして原発を再稼動することができるのか」
と問い掛ける。
成長重視の立場を固守してきた政治家と企業家でさえ、原発依存型の成長には反発している。
大阪市の橋下徹市長は
「原発のない世の中というものがどのようなものなのか、試すことができる良いチャンス」
とし、脱原発の立場を明確に表明している。
企業家では、ソフトバンクの孫正義社長やインターネット総合サービス「楽天」の三木谷浩史社長などが脱原発派として知られる。
朝日新聞や毎日新聞なども社説を通じて「脱原発・脱成長」を主張している。
毎日新聞の中島哲夫論説委員は
「原発事故をきっかけに“成長しないとしても、もう少し安全に暮したい”という人々が大幅に増えた」
と説明する。
■輸出の割合は小さく投資による収益は高いという自信
このように脱原発・脱成長論が拡散している背景には、
経済構造に対する日本の自信
も見え隠れする。
日本は輸出大国だというが、実際には
輸出が経済に占める割合はわずか10%台
にすぎない。
輸出を通じた成長よりも内需による市場拡大がむしろ現実的で国民の幸せに寄与する、
といった論理だ。
次期首相候補に挙げられている枝野幸男・経済産業相は
「輸出を通じて成長しようとすれば、価格競争力を確保するために賃金の引き下げは避けられず、企業が成長しても国内の雇用にはつながらない」
と主張する。
枝野氏は政府の予算を医療や福祉、教育、新エネルギーなどに集中投資して、内需産業を育成していかなければならないとの立場だ。
また、膨大な所得収支も脱成長論を裏付けている。
日本は昨年の貿易収支が31年ぶりに「1兆6000億円」の赤字となったのに対し、
海外投資および海外工場の配当金などによる所得収支は「14兆円」の黒字となった。
賃金を低下させ雇用条件を悪化させる輸出中心の成長政策よりは、
「1兆3000億ドル(約105兆円)」に上る莫大な外貨準備高を投資に回すだけでも、国民は十分に幸せになれるというわけだ。
しかし、成長のない福祉や内需市場の拡大はそもそも無意味だとの反論も多い。
慶応大学の竹中平蔵教授は
「成長しなければ、若者の働き口の確保も不可能で、福祉水準も低下するほかない。
脱成長とは皆で貧乏になろうという主張にほかならない」
と断言する。
高齢化により国家負債が急増している中で、企業の競争力低下による貿易赤字までが拡大した場合、国債価格が暴落すると共に金利が急上昇し、結局は日本も不渡りを出すことになると懸念する声もある。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/11 09:09
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/11/2012031100101.html
【社説】福島の事故から1年、韓国の原発は安全か
福島第一原子力発電所の事故から1年になる。
この間、韓国の原発21基は、安全性が高まったといえるだろうか。
国民はこの問い掛けに対する答えをいまだに得られていない。
れわれは原子力に替わる代替エネルギーと再生エネルギーの開発に向け、以前より熱心に取り組み、近い将来その成果が出るはずだと期待できるのだろうか。
これに対する答えもやはり「いいえ」だ。
福島第一原発の周辺は地獄のような状況だ。
乳牛は、水を一口飲もうと干上がった水路に落ちてもがき、放射線に被ばくしたペットたちが人けのない道をさまよい、牛や豚の死骸があちこちに横たわって腐敗している。
田畑には背の高さほどに伸びた雑草だけが生い茂っている。
海辺に位置する福島第一原発から半径20キロ以内の地域、628平方キロメートルは立ち入り禁止区域となっている。
ソウル(605平方キロメートル)よりも広い地域がゴーストタウンと化しているのだ。
東京の人々は九州から米を取り寄せ、水道水が怖いためミネラルウォーターを購入して飲む。
原発事故前に製造された缶詰だけを子どもに食べさせるという主婦も多い。
日本政府は、今後10年間の復興費用を23兆円と見積もっている。
世界の原子力発電は、福島原発のような事故が今後二度と起こらないという確信、「ノー・モア・フクシマ」を各国の国民にしっかりと植え付けることができなければ未来がない。
福島の事故の衝撃で、韓国よりも技術が進んでいるドイツは2022年までに、スイスも34年までに原発を全て閉鎖すると宣言し、原発に替わる新しいエネルギー源の研究開発に国家の総力を上げて取り組んでいる。
日本も原発54基のうち52基が運転を停止しており、来月までには残りの2基も定期点検のため稼働を中断する予定で、全ての原発が停止した状態を迎える。
これは、現在の状況では原発の安全性を確信できないからだ。
韓国政府は福島の事故以降、原発21基に対する緊急点検を行った。
昨年7月にはIAEA(国際原子力機関)専門家チ-ムによる安全点検も実施した。
また、古里原発(釜山)の海岸防護壁を高くしたほか、地震発生時に原子炉が自動停止するシステムを設置し、非常発電設備を増やすなど、46種の短期的、中期的対策を進めてきた。
昨年10月には大統領直属の原子力安全委員会も発足した。
しかし、委員長は原子力産業の振興に生涯をささげてきた人物で、その後、委員会が現在の原発の状況に対する検査や規制基準をさらに強化したという話も出ていない。
このような中で、国民の原発への不信感は膨らんだのかしぼんだのか分からない状況だ。
IAEAが新たに打ち出した目標では、
1...原子炉の燃料が溶けるメルトダウン(炉心溶融)は、原発を1万年稼働した場合に1回、
2...原子炉格納容器の破壊により放射性物質が大量に放出される重大災害は、10万年稼働した場合に1回
発生するレベルにまで原発の安全性をさらに高めるとしている。
しかし、1956年に原発が稼働を開始して以来、スリーマイル島(1979年)とチェルノブイリ(1986年)の原発で各1基、今回の福島第一原発で原子炉3基の炉心溶融事故が発生した。
このうちスリーマイル島を除いた4回は、放射性物質の大量流出という大惨事をもたらした。
IAEAが目標とする3‐28倍もの炉心溶融や放射性物質の大量流出事故が発生したことになる。
こうした現実を踏まえ、韓国も安心できる状況ではない。
韓国の電力事情は、酷暑期、酷寒期の区別なく、何かにつけて電力不足に陥っている。
これには、電力需要に対する長期予測がずさんなことや、火力発電であれ、水力発電であれ、区別なく建設反対を訴える環境団体や地域住民の激しい闘争に阻まれ、発電所建設が難しいという背景がある。
韓国の昨年の1人当たりの年間電力消費量は9510キロワット時で、韓国より所得がはるかに高い日本(8110キロワット時)やドイツ(7108キロワット時)よりも多い。
家庭の電気料金は欧州国家の35%、産業用電気は42%という水準だ。
福島の原発事故以降、韓国の産業界も国民も何一つ変わっていないことになる。
このような状況に追い込まれた政府は、
電力の原発依存率を現行基準の31%から2030年までに59%に引き上げる
という従来の計画に沿って昨年末、江原道三陟、慶尚北道ヨンドク郡の2カ所にそれぞれ原発4基を建設するという計画を打ち出した。
政府はさらに、
米国やフランスと共に世界3大原子力大国を目指す
という新たな目標も打ち立てた。
韓国社会の一部ではすでに、原発反対の運動が起きている。
このような状況で万が一小さな事故でも起きた場合、全ての原発と原子力産業は重大な局面を迎えるだろう。
政府と原子力産業界は、原発の安全性に関する国民の信頼を高める画期的な短期、中期、長期的対策を打ち出さなければならない。
われわれは総発電量の31%を原発に依存しており、他国のように脱原発を唱えられる状況ではない。
しかし福島の1年を見守ってきた今、われわれは政府、政界、産業界、学界はもちろんのこと、全国民が共に変わる必要があるということを切実に感じる。
福島の事故を身近で起きた事実として受け止め、韓国のエネルギー構成については「安全でクリーンなエネルギー」を中心とした代案的マスタープランを打ち出し、長期的に段階を踏んで変更を重ねつつ未来に備えるべきだ。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/10 13:13
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/10/2012031000607.html
柳井正氏「このままでは日本は没落する」
柳井正・ファーストリテイリング会長インタビュー
「東日本大震災という危機をきっかけとして、政府と企業が大きく変わると期待した。
しかし、1年を過ぎても何も変わっていない。
政府は一体何をしているのか分からない。このままでは日本は没落する」
カジュアル衣料ブランド「ユニクロ」を世界的なブランドに育て上げたファーストリテイリングの柳井正会長(63)は8日、東京都内で本紙の単独インタビューに応じ、
「政治家に危機意識がない。
ばかみたいなことばかりしている」
と不満を漏らした。
経済誌フォーブスが今年の日本の富豪1位に選んだ柳井会長は、社内での英語共用化、国籍を問わない社員採用など、日本企業の革新をリードしている。
早大卒の柳井会長は、山口県の地方都市で父の衣料品店を経営した経験を基に、1984年にユニクロ1号店を出店した。
ファーストリテイリングは現在、年商8200億円、営業利益率14%を超え、日本の代表的な優良企業に数えられる。
柳井会長は自分の人生を「1勝9敗」と振り返るほど、失敗は多かったが、失敗をばねにチャレンジを繰り返したことが成功の秘訣(ひけつ)だと話した。
以下はインタビューの一問一答。
―日本政府の災害復興事業に関する評価は。
「信じられないほど遅くていらいらする。
政府が昨年12月に原発事故収束を宣言したが、現地住民も日本国民も信じなかった。
こんなばかみたいなことがあるだろうか。
原発事故は明らかな事故だ。
事故を起こした東京電力と経済産業省は誰も責任を取らない。
そんな彼らが審査を行い、安全だと言って、原発を再稼働しても誰が信じるか。
安全性を客観的に検証した後で稼働すべきだ」
―危機をきっかけに日本は飛躍できるのか。
「日本が危機をうまく克服し、一段階飛躍することができるという期待もした。
しかし、1年が過ぎても、政府も企業も変わらない。
家電など代表的な企業が海外で稼げずにおり、地震の復興作業も遅れている。
資源がない日本が外で稼げなければ、没落するしかない」
―日本の政治をどう評価するか。
「めちゃくちゃだ。
当面の課題が数多くあるが、やろうとしていない。
こんなばかみたいな政治をしていれば日本は滅ぶ。
政治家はまだ現実を知らず、『日本の富』がこのまま維持されると錯覚している。
選挙だけを考え、日本の未来を心配する政治家はいない。
政治がカネを稼がずに分配だけ考えたのでは、北朝鮮のようになってしまう」
―日本企業が赤字を出す理由は。
「日本企業はリスクにチャレンジしていない。
一国の経済がグローバル経済へと進化し、企業と個人に大きなチャンスが訪れた。
地方都市で衣料品を商っていたユニクロも世界を相手にしている。
しかし、多くの日本企業は過去のままだ。
日本企業が体質を変えれば、十分に競争力がある。
企業の最高経営責任者(CEO)がサラリーマンに転落し、自分のポストだけ守ろうとし、チャレンジをしていない。
全てを変えようとしたサムスンは結局、世界的な企業になったではないか」
―社内で英語共用化を実施した理由は。
「売国だの、日本文化を抹殺しようとしているだのという批判もあった。
しかし、世界を相手にビジネスをするには英語は必須だ。
少子高齢化で日本の衣類産業は斜陽産業だ。
アジアなど世界を攻略すれば成長産業だ。
国籍に関係なく有能な人材を採用しなければ、ユニクロも成長し続けることはできない」
―障害者雇用率(8%)が高い理由は。
「当初は店の業務に支障が生じるかもしれないと考えたこともあった。
しかし、従業員が障害者に配慮し、チームワークが高まり、障害者を雇用した店舗の業務成果が良かった。
1店舗当たり1人を雇用している。
障害者の親から感謝の手紙が届くとやりがいを感じる」
―資本主義危機論についてどう思うか。
「社会主義は成功しただろうか。
資本主義にもさまざまな問題がある。
企業は懸命にカネを稼ぎ、税金を払い、雇用も社会貢献もしなければならない。
資源がない日本や韓国が輸出でカネを稼がなければ終わりだ」
―若者の働き口がないが。
「良い企業ばかりを探す若者にも問題がある。
会社を選ぶのではなく、一生やる仕事を探すべきだ。
日本国内に仕事がないというが、アジアに目を向ければいくらでもある。
日本の若者は韓国よりもハングリー精神が足りず、海外に目を向けないことが心配だ」
』
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2012年3月10日土曜日
「フクシマ」が世界に与えた影響、東日本大震災から1年
_
Time Lapse #053 福島浜通り Fukushima Hamadori 2012-03
● 大震災から1年が過ぎました。
福島ではいまだ苦悩の日々が続いています。
福島県の浜通り、南相馬市の市街地を南下すると、原発から半径20キロの立ち入り禁止区域があります。
ここから先は立ち入ることが厳しく制限されています。
津波で流された海岸沿いにある神社の近くには、復興を誓うメッセージが記されたイルミネーションが夜通し点灯していました。
空には満点の星が輝いています。
いつか、この先の地でまたあの頃のように。
参照元:Youtube aomorigonta
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月10日 11時34分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59461&type=0
「フクシマ」が世界に与えた影響、東日本大震災から間もなく1年
2012年3月9日、東日本大震災から間もなく1年。
福島第1原発の放射能漏れ事故は世界を震撼させ、各国で原発計画の見直しが発表された。
台湾NOWnewsが伝えた。
1986年に起きた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故は多くの尊い人命を奪い、経済的にも甚大な被害をもたらした。
これをきっかけに悲劇を2度と繰り返さないよう、各国で「脱原発」運動が展開されたが、一方で経済発展を最優先とし、二酸化炭素(CO2)の排出量も少ないなどとして、原発計画を続行した国もあった。
福島第1原発の放射能漏れ事故は再び世界に大きな衝撃を与え、自国の原発計画や安全基準の見直しを行う国が続出、原発計画そのものを廃止する国も出た。
欧州連合(EU)は福島の事故後、各国のエネルギー担当大臣や各担当部署、電力会社を集めた緊急会議を開催、安全基準の見直しを進めるとともに、脱原発の可能性についても話し合われた。
フランスと英国は、原発計画は中止しないとの方針を発表。
一方、ドイツは2022年までに国内すべての原発の廃止を決定。
イタリアは閉鎖している原発の再開計画を中断。
スイスは2034年までに国内すべての原発を廃炉にする方針を示した。
オーストリアも原発反対の姿勢を貫いている。
アジアでは、日本の事故を教訓にタイ、ベトナム、フィリピンなどが原発計画の見直しを行い、イスラエルは初の原発計画の停止を発表した。
一方、インドや中国本土は経済発展を最優先とし、原発計画は中止しない方針を示している。
韓国は、原発計画は中止しないが、数十億ドルをかけて安全強化を進めることを決定。
台湾は新規原発を稼働させる代わりに既存の原発を順次廃炉にする計画を掲げている。
米国は1979年3月のスリーマイル島原子力発電所事故以来、原発の新設計画を停止していたが、計画そのものを廃止にしたわけではない。
原発の燃料となるウランの生産・輸出大国のオーストラリアは原発を持っておらず、ニュージーランドも1970年代から一貫して「原発反対」の姿勢を保っている。
』
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Time Lapse #053 福島浜通り Fukushima Hamadori 2012-03
● 大震災から1年が過ぎました。
福島ではいまだ苦悩の日々が続いています。
福島県の浜通り、南相馬市の市街地を南下すると、原発から半径20キロの立ち入り禁止区域があります。
ここから先は立ち入ることが厳しく制限されています。
津波で流された海岸沿いにある神社の近くには、復興を誓うメッセージが記されたイルミネーションが夜通し点灯していました。
空には満点の星が輝いています。
いつか、この先の地でまたあの頃のように。
参照元:Youtube aomorigonta
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月10日 11時34分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59461&type=0
「フクシマ」が世界に与えた影響、東日本大震災から間もなく1年
2012年3月9日、東日本大震災から間もなく1年。
福島第1原発の放射能漏れ事故は世界を震撼させ、各国で原発計画の見直しが発表された。
台湾NOWnewsが伝えた。
1986年に起きた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故は多くの尊い人命を奪い、経済的にも甚大な被害をもたらした。
これをきっかけに悲劇を2度と繰り返さないよう、各国で「脱原発」運動が展開されたが、一方で経済発展を最優先とし、二酸化炭素(CO2)の排出量も少ないなどとして、原発計画を続行した国もあった。
福島第1原発の放射能漏れ事故は再び世界に大きな衝撃を与え、自国の原発計画や安全基準の見直しを行う国が続出、原発計画そのものを廃止する国も出た。
欧州連合(EU)は福島の事故後、各国のエネルギー担当大臣や各担当部署、電力会社を集めた緊急会議を開催、安全基準の見直しを進めるとともに、脱原発の可能性についても話し合われた。
フランスと英国は、原発計画は中止しないとの方針を発表。
一方、ドイツは2022年までに国内すべての原発の廃止を決定。
イタリアは閉鎖している原発の再開計画を中断。
スイスは2034年までに国内すべての原発を廃炉にする方針を示した。
オーストリアも原発反対の姿勢を貫いている。
アジアでは、日本の事故を教訓にタイ、ベトナム、フィリピンなどが原発計画の見直しを行い、イスラエルは初の原発計画の停止を発表した。
一方、インドや中国本土は経済発展を最優先とし、原発計画は中止しない方針を示している。
韓国は、原発計画は中止しないが、数十億ドルをかけて安全強化を進めることを決定。
台湾は新規原発を稼働させる代わりに既存の原発を順次廃炉にする計画を掲げている。
米国は1979年3月のスリーマイル島原子力発電所事故以来、原発の新設計画を停止していたが、計画そのものを廃止にしたわけではない。
原発の燃料となるウランの生産・輸出大国のオーストラリアは原発を持っておらず、ニュージーランドも1970年代から一貫して「原発反対」の姿勢を保っている。
』
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2012年3月8日木曜日
震災ゴミを分別処理した日本―国連環境計画
_
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月7日 13時6分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59373&type=0
震災ゴミを分別処理した日本、世界は手本にすべき―国連環境計画
2012年3月5日、国連環境計画(UNEP)のホームページに
「日本の震災ゴミに学ぼう」
というタイトルのニュースが掲載された。
6日付で中国の人民網が伝えた。
昨年、全世界で発生した自然災害による経済損失の「総額は3660億ドル」。
その3分の2は東日本大震災で生じたもの。
東日本大震災の地震と津波による犠牲者は約2万1000人で、経済損失額は2100億ドルに達した。
今なお約3000人が行方不明のままで、34万人が仮設住宅や避難所で生活している状況だ。
この地震と津波が原因で被災地には2900万トンのがれきやゴミ、いわゆる震災ゴミが発生。
これらの処理状況を調査するため、UNEPは専門家8人からなる視察団を被災地に派遣した。
8人は大量の魚網がゴミになった大船渡市と宮古市の漁村、岩手県から運ばれた廃材を燃料にしているセメント工場、1日1500トン処理できる日本最大のゴミ焼却場など各地を視察。
その結果、視察団は
「膨大な震災ゴミを再利用できるものとできないものとに分別することで、日本はゴミの量そのものを減らすことに成功した」
と指摘。
震災ゴミのなかから、木材、金属、電子製品、畳、魚網、車両、プラスチックなどを選別し、製紙工場やセメント工場での燃料や建築材料、道路の舗装材料に再利用していることを高く評価し、
「その努力や技術を世界は学ぶべきだ」
と述べた。
また、津波に流されて使いものにならなくなった大量の洗濯機や冷蔵庫などの大型家電や車両が回収されずに問題になっていることから、メーカーに回収義務を負わせる日本の法律を見直すべきだとの見解も示している。
』
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『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月7日 13時6分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59373&type=0
震災ゴミを分別処理した日本、世界は手本にすべき―国連環境計画
2012年3月5日、国連環境計画(UNEP)のホームページに
「日本の震災ゴミに学ぼう」
というタイトルのニュースが掲載された。
6日付で中国の人民網が伝えた。
昨年、全世界で発生した自然災害による経済損失の「総額は3660億ドル」。
その3分の2は東日本大震災で生じたもの。
東日本大震災の地震と津波による犠牲者は約2万1000人で、経済損失額は2100億ドルに達した。
今なお約3000人が行方不明のままで、34万人が仮設住宅や避難所で生活している状況だ。
この地震と津波が原因で被災地には2900万トンのがれきやゴミ、いわゆる震災ゴミが発生。
これらの処理状況を調査するため、UNEPは専門家8人からなる視察団を被災地に派遣した。
8人は大量の魚網がゴミになった大船渡市と宮古市の漁村、岩手県から運ばれた廃材を燃料にしているセメント工場、1日1500トン処理できる日本最大のゴミ焼却場など各地を視察。
その結果、視察団は
「膨大な震災ゴミを再利用できるものとできないものとに分別することで、日本はゴミの量そのものを減らすことに成功した」
と指摘。
震災ゴミのなかから、木材、金属、電子製品、畳、魚網、車両、プラスチックなどを選別し、製紙工場やセメント工場での燃料や建築材料、道路の舗装材料に再利用していることを高く評価し、
「その努力や技術を世界は学ぶべきだ」
と述べた。
また、津波に流されて使いものにならなくなった大量の洗濯機や冷蔵庫などの大型家電や車両が回収されずに問題になっていることから、メーカーに回収義務を負わせる日本の法律を見直すべきだとの見解も示している。
』
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2012年2月27日月曜日
地震から1年、福島第一原発から14キロの地域を取材
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● 小高地区
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:12
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701095.html
東日本巨大地震:本紙特派員、禁断の地を行く
地震から1年、福島第一原発から14キロの地域を取材
放射能の数値は東京の100倍
押し流された車や崩壊した住宅は放置
25日朝、福島県の南相馬市役所から福島第一原子力発電所方向に車で十数分走ったところで、警察に制止された。
福島第一原発から半径 20キロ以内の地域は今も立ち入りが禁止されているため、本来なら許可がないと中には入れないが、通行許可証を所持する現地住民の車に乗っていたため、無事に検問を通過できた。
この地域は放射線のレベルが非常に高いため、一般人は立ち入りが禁止されている。
昨年3月11日の東日本巨大地震でマグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波がこの地に押し寄せ、福島第一原発で爆発事故が発生した。
その影響で放射性物質が放出したため、周辺は人が住めない土地となってしまった。
原発から10キロから20キロの範囲にある南相馬市小高区を訪れた。
小高区は地震、津波、原発の三重苦を一身に受けた地域だ。
車が福島第一原発の方向に向かうと、放射能の数値が急激に上昇しはじめた。
原発からおよそ14キロの地点に到達すると、放射能測定器の数値が6-7マイクロシーベルトにまで一気に跳ね上がった。
東京ではこの数値が0.05から0.07マイクロシーベルトだから、およそ100倍ということになる。
一時的な被爆なら健康にそれほどの影響はないそうだが、記者があわてて防護服を着用しようとすると、案内してくれた住民は
「この程度なら非常に低い数値だ」
と語った。
住民たちは自宅に残した貴重品や家財道具などを取りに、しばしばこのを訪れるという。
この住民は
「林の中だと20マイクロシーベルト以上になるところも多い。
原発周辺でも測定したことがあるが、その時は測定機器の限界(1000マイクロシーベルト)を超えた」
と語った。
この地域は東日本巨大地震と津波、原発の爆発事故直後から、時間が凍り付いたような風景が今も広がっている。
田畑には1年前の津波で流された車や建設用の重機などが、赤くさびたまま放置されていた。
ある住宅のリビングには、津波で流された車が飛び込んだままの状態になっていた。
1万2000人以上の小高区住民は原発事故後、全国に散らばって1年近く避難生活を続けている。
死者1万5860人、行方不明者3282人の被害を出した東日本巨大地震からの復旧は、今も各地で急速に進んでいる。
しかし、原発周辺から避難している15万人以上の住民は
「自宅には永遠に帰れないかもしれない」
という不安におびえている。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:17
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701136.htm
人影のない町、まるで恐怖映画
原発20キロ圏内の旧小高町
福島県南相馬市小高区(旧小高町)は、まるでゴーストタウンだった。
25日に現地を訪れると、雪が降り積もった通りや家々には人影はなかった。
町の入り口の低地帯は、まるで爆撃でも受けたかのように悲惨な状況で、東日本巨大地震の惨状を物語っていた。
そこには当時日本を震え上がらせた地震と原発事故の恐怖がそのまま残っていた。
車で町の中心部を通り過ぎると、崩壊した住宅が道路の半分ほどを塞いでいた。
屋根は原形をとどめているが、柱や壁は跡形もなかった。
ある工場では看板が崩れ落ち、無造作に転がっていた。
地震で工場や店の壁が崩れ、穴が開いている場所も多かった。
■慌てて避難した形跡
人影のない通りでは、赤信号だけが点滅していた。
白昼でも電気がついている店があったため、ドアをたたいてみたが、中には誰もいなかった。
店の内部はほこりをかぶっており、商品は散乱していた。
その様子から、避難当時の緊迫感が伝わってきた。
住民の多くは、昨年3月12日に福島第1原発1号機の建屋で起きた水素爆発の音を聞いて恐怖に駆られ、町を大急ぎで出て行ったという。
住宅街や工場にはきれいな車が止まっていた。
原発事故直後にガソリンがなく、そのまま放置された車もあった。
自転車ショップには新品の自転車がそのまま残され、シャッターも下ろさず、主人がいなくなった建物も多かった。
小高区だけでなく、周辺の双葉町や浪江町など20キロ圏内の地域は、全て似たような状況だった。
中心部から出ようとすると、空き巣狙いの泥棒を取り締まる警察のパトカーや、福島原発関連の作業車両とすれ違った。
警戒区域に入ってから初めて接した人影だった。
集落の郊外では、道路脇に倒木が放置されていた。
田畑は高さ1メートル以上にまで生い茂って枯れた雑草のせいで、どこがどこだか区別が難しかった。
記者に同行した現地住民は「夏には人の背丈ほどの雑草が家々を覆った」と話した。
郊外には放置された牛や豚を捕獲するために政府が設置したわなもあった。
牛がえさを食べると、扉が自動的に下りる仕組みになっており、政府はこうして捕獲した牛などを住民の同意を得て殺処分している。
原発事故以降に生まれ、所属農場の表示がない牛は即座に殺処分される。
■住民1万2000人が放浪生活
小高区に住んでいた住民約1万2000人は全員が避難生活を送っている。
福島県を離れ、別の地域に避難した人も多い。
小高区出身のサイトウサチコさん(48)は、昨年3月12日に避難して以降、5回も引っ越しを繰り返した。
最初は南相馬市内に避難したが、1週間もたたずに商店が閉まり、水も買えなくなったため、福島市に移動した。
現在南相馬市でアルバイトをしているサイトウさんは
「住民の約30%は南相馬市(の警戒区域外)にある自宅に帰れる日を待っている」
と話した。
小高区がある南相馬市は人口約7万人だが、原発事故で半数が別の地域に避難した。
事故直後には、放射能に対する恐怖で、外部からの物資供給が滞り、住民は苦境に立たされた。
桜井勝延市長は当時、ユーチューブの動画で
「われわれは孤立した。住民が飢えている」
と全世界に向けて支援を訴えた。
大地震発生からほぼ1 年、状況は少しずつ改善している。
原発から半径20キロの警戒区域のすぐ外では、24時間営業のコンビニエンスストアが営業しているほか、スーパーや飲食店、学校なども再開した。
道路には登下校する子どもたちの姿も見られた。
しかし、住民はできるだけ子どもを外出させないよう注意しているという。
住民のマサダエイコさん(45)は
「最近、原子炉の温度が再上昇したという報道があった。
原発事故はまだ完全には収拾できていないため心配だ」
と不安な心境を語った。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701113.html
福島原発20キロ圏内で牛を守る
● 福島県浪江町にあるエム牧場浪江農場長の吉沢正巳さんが、飼育している牛を指差している。
昨年3月11日の大地震と津波発生以降、農場で働いていた従業員は全員避難したが、吉沢さんは牛にえさを与えるため一人残った。
吉沢さんは、爆発事故があった福島第1原発から半径20キロ以内に住む唯一の住民だ。
/写真=車学峰特派員
「わが子のように大切な牛を飢え死にさせることはできなかったんです」
東京電力福島第1原子力発電所から14キロ離れた福島県浪江町でエム牧場浪江農場を営む吉沢正巳農場長(58)は、事故から1年、農場を守ってきた。
吉沢さんは事故があった原発から半径20キロ以内に住む唯一の住民だ。
記者が取材に訪れた25日にも、吉沢さんはまるで何事もなかったかのように、牛にえさを与えていた。
農場では一時、放射線量が20マイクロシーベルトまで上昇。
現在は低下したとはいえ、6-7マイクロシーベルト前後の放射能が検出されており、通常よりも100倍ほど高い数値だ。
吉沢さんは昨年3月12日以降、福島原発から聞こえる爆発音で眠れない夜を過ごした。
当時、風は浪江町の方向に吹いており、住民は慌てて避難した。
同居していた弟、ほかの従業員も全員避難した。
しかし、吉沢さんは自分まで農場を離れれば、牛が飢え死にすると考え、会社の撤収命令を無視し、農場を守るために残ることを決心した。
事故発生から2週間後には一時避難したが、その日の夜にはすぐに戻った。
警察が制止したが
「牛が飢え死にしたらどうするのか」
と訴えかける吉沢さんを警察も止めることはできなかった。
吉沢さんは一時、避難所に宿泊し、農場に出勤する生活を送っていたが、昨年12月からは農場で寝泊まりしている。
農場では現在、牛300頭を飼育しているほか、周辺の農場で放置された牛の面倒も見ている。
住民が避難した畜産農家の牛は、冬を迎えて大半が餓死した。
牛をあきらめようとした会社側も吉沢さんの熱意に打たれ、放置された牛を救う運動に同調している。
最近は市民団体も加わり、エム牧場は原発周辺の家畜を救う「希望の農場」運動の象徴となった。
吉沢さんの活動は全国的に有名になり、日本政府も吉沢さんが警戒区域に立ち入ることを制止していない。
また、吉沢さんの熱意に感動した畜産農家からは寄付金やえさが届けられている。
日本政府は住民の同意を得て、原発から20キロ圏内の家畜の殺処分を進めている。
吉沢さんは
「政府はまるで何かを隠蔽(いんぺい)するかのように、家畜を殺している。
20キロ圏内の牛は飼育しても売ることは不可能だが、原発事故の後遺症研究などに活用できる貴重なものだ」
と訴えた。
全国から支援の手が差し伸べられる中、吉沢さんの農場には太陽光発電装置が設置され、インターネットも開通した。
吉沢さんは福島第1原発と農場を映すカメラを設置し、インターネットでライブ映像を発信している。
さらに吉沢さんは月に1回、東京で原発周辺での家畜殺処分防止を訴える集会を開いている。
吉沢さんが農場を留守にする際には、ボランティアが代わりに農場を管理している。
現地で会ったボランティアの人に放射線が怖くないかと尋ねると
「無謀ではないかと考えることもある」
と言いながらも、辞めるつもりはないとの回答が返ってきた。
原発事故以降、動物保護団体も警察の警戒ラインを越え、犬や猫の救出活動を展開している。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月11日 13時5分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59481&type=0
日本を訪れた中国人、震災後1年で激増、
放射能漏れを心配する韓国人は減少
2012年3月10日、韓国紙・中央日報(電子版)によると、昨年の東日本大震災から1年間で日本を訪れた中国人の数は激増。
しかし韓国人観光客の数はいまだに回復していないという。
中国の環球網が伝えた。
今月1月に日本を訪れた中国人は13万8400人。
震災前の昨年1月に比べ、40%近くも増加。
震災直後に激減した中国人の訪問客数は昨年10月にプラスに転じた。
しかし、10年以上も日本の最大顧客だった韓国人観光客の数は回復していない。
震災直後の昨年4月、前年比で60%以上も減った韓国人訪問客数は、現在も前年比マイナス30%台。
11年も最多だったが、2位の中国観光客との差は大きく縮小した。
日本政府は観光客の誘致に必死だが、韓国人の反応はいまひとつ。
「日本は放射能で危険な国」
という認識を韓国人が変えないかぎり、訪問客数の回復は望めない。
最近ソウルで行われた調査では
「日本を観光しても問題はないと思うか」
という質問に対し、「問題ない」と答えた回答者はわずか26%で、在日韓国人の59%に比べて不安感が強いことが分かる。
また83%が
「日本を観光したいが、食品や空気中に含まれているかもしれない放射性物質のためにためらっている」
と回答。
このため日本の観光庁は
「放射能の危険性は福島原発周辺などの一部に限られ、食品などに問題はないということを積極的に広報していく」
と話している。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/09 13:24
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/09/2012030901355.html
東日本巨大地震:無責任政治に失望、無党派層が68%に
極度の政治不信広がる
「戦後最悪の危機だというのに、政治家は政争ばかり繰り返している」(35歳、会社員)
「自民党が嫌いで民主党に投票したが、かなり失望した。既成政党に期待することはない」(40歳、主婦)
東日本巨大地震と福島第一原子力発電所事故の収拾が遅々として進まない中、日本では政治全体が極度の不信を招いている。
朝日新聞が最近実施した世論調査で、民主党の支持率は17%まで低下し、自民党は12%まで落ち込んだ。
日本国民は、民主党の災害対応能力に失望している上、何かにつけて政府の足を引っ張る自民党に対しても、絶望同然の感情を抱いている。
時事通信による最近の世論調査では、「支持政党なし」という無党派層の比率が68.2%まで上昇した。1960年に世論調査が始まって以来、過去最高の数字だ。
■無責任の政治システムがむき出しに
東京大学の木宮正史教授は
「日本政治の特徴である“無責任のシステム”が、原発事故の収拾過程でむき出しになった」
と語った。
「無責任のシステム」とは、依然として太平洋戦争を起こした人物や責任を取るべき人物について究明しようとしないなど、責任と権限が不透明な日本政治の特徴を指す。
日本の国家システムは、頻繁に変わる首相が「国の顔」の役割を果たすだけで、実際には官僚が国家を動かすというものだった。
日本の高度成長を主導した官僚システムは、一時は世界最高水準という賛辞を受けた。
しかし、バブル崩壊後に動作不良に陥った官僚システムは、東日本大震災でそのもろさがはっきりと浮き彫りになった。
世宗研究所の陳昌洙(チン・チャンス)博士は
「官僚のマニュアルに基づいて維持されてきた日本の政治システムは、リーダーの決断力を要する危機の状況では全く機能しないことが証明された」
と語った。
■論文「日本の自殺」が再び流行
1975年に発表された「日本の自殺」という論文が、最近『文藝春秋』などに再び掲載されるなど、関心を集めている。
「日本の自殺」は、リーダーシップの危機などにより、日本が内部から崩壊すると主張する論文で、日本の現状を最も的確に予測しているとの評価を受けている。
こうした危機意識は、強力な指導者の待望論という形で噴出している。
関連書籍の出版が相次ぎ、田中角栄元首相(1972-74在任)に突然スポットライトが当たるという現象も起きている。
田中元首相は、収賄事件で有罪判決を受けるなど金権政治の象徴だったが、推進力と決断力の面では評価されている人物だ。
極右政治家に対する期待も高まっている。
産経新聞が最近「最もふさわしいリーダーは誰か」を問うアンケート調査を実施したところ、現役政治家の中では橋下徹・大阪市長(21.4%)がトップに立ち、石原慎太郎・東京都知事(9.6%)が2位となった。
橋下市長は、地域政党「大阪維新の会」の全国政党化を宣言しており、石原都知事は新党結成を構想中だ。
2人はいずれも、カリスマ性を備えた政治家と評価されているが、独断的かつ極右的だ。
中島岳志・公共政策大学院大学准教授は
「既成政党に対する絶望が、救世主待望論として表出している」
と分析した。
東日本巨大地震をきっかけに、日本の右傾化が加速しているという分析もある。
陳昌洙博士は
「自民党は、憲法を改正して天皇を国家元首にするという案を提示した。
景気の冷え込みに加え原発事故まで重なったことで、右傾化が加速しているようだ」
と語った。
東日本巨大地震以降に頻発している反韓流デモも、日本社会の極右化傾向を反映していると分析されている。
■首相公選論も台頭
強力な指導者の待望論が出回る中、次期衆院選での橋下新党・石原新党の躍進が予想されている。
野田佳彦首相の人気が急落しており、6月中の国会解散・総選挙も有力視されている状況だ。
木宮教授は
「既存の政党に対する不信から、新党が躍進するだろう」
という見解を示した。
政治システムそのものを改革すべきという主張も出ている。
上院に当たる参議院を廃止し、国民が首相を直接選ぶ公選制を導入しようという意見だ。
橋下市長は
「議員が首相を選ぶ今のシステムでは、誰が首相になってもリーダーシップを発揮できない」
と主張する。
しかし、木宮教授は
「日本は没落・衰退の渦中にあり、大きな改革は難しいだろう」
と語った。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2012年3月12日 6時34分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59413&type=0
<コラム・巨象を探る>
3年で復興完了した「四川大地震」の経験生かせ
―遅々として進まぬ東日本大震災復興
2012年3月11日、東日本大震災から1年が経過したが、復興は思うように進んでいない。
がれき処理など課題が山積し、被災地再生の具体化はこれから。
34万人余りが全国各地に避難し、仮設住宅などで不自由な生活を送る。
2008年5月に発生した中国・四川大地震では3年で復興終結宣言が出たが、この事例に比べはるかに遅いと言わざるを得ない。
未曽有の大地震は日本経済に大きな打撃を与えた。
死者・行方不明者は約1万9千人。復興費用は10年間で23兆円と推定されている。
震災による企業の損失は東証一部上場企業だけで3兆1千億円。
全体の被害額は計り知れない。
東日本大震災関連の企業経営破綻は677件にのぼった。
1995年の「阪神・淡路大震災」が発生から丸1年で152件だったのと比べ4倍強に膨らんだ。
政府の司令塔となる復興庁が発足したのは地震発生から1年近く経った2012年2月中旬。
東北3県の震災がれきは約2250万トンに達するが、ほとんどは被災地の仮置き場に積まれたまま。
多くは自治体のまちづくり計画に組み込まれた場所で、処理の遅れは復興に大きく影響する。
政府は自治体にがれきの受け入れを呼び掛けているが、正式に引き受けたのは東京都と青森、山形両県だけ。
大半の道府県では住民の反対によって拒否され、
日本人の美徳「絆」に疑問符が付く
事態となっている。
復興関連予算の執行が遅れていることも問題だ。
4次までの補正予算に計上された14兆3400億円のうち執行されたのは6割程度。
政府は、地方自治体への総額1兆8500億円の復興交付金の第1弾として、2509億円の配分を決めたが、被災自治体からは
「政府の査定が厳しく通常のひも付き補助金と変わらない」
との不満の声が出ている。
各種世論調査では、復興が「進んでいない」と見る人が80%前後に達し、東北被災地ではこの数字がさらに跳ね上がる。
その原因については、
「原発事故の影響」
「被害の規模と範囲の大きさ」と並んで、
「政府の対応に問題」
との回答が目立つ。
政府・与党は、これらの数字を重く受け止め、復興事業の加速に全力を挙げるべきである。
被災者は一日も早い復旧・復興を望んでおり、政府には、もっと被災者や自治体に密着した対応が求められる。
2008年5月12日に起きた中国・四川大地震。死者が9万人に上り、家屋の倒壊21万6千棟、損壊家屋は415万棟にも達した。
四川省西部の被災地では、震災の傷跡を感じさせないほどの復興を遂げた。
2011年9月時点で国の復興再建プロジェクトの完了率が98.7%に達し、四川省の103に上るプロジェクトもほぼ終了し、「復興完了宣言」も出された。
四川大地震発生後の3年間で540万世帯、1200万人以上が居住する住宅が建設された。
同地震では学校校舎の倒壊が目立ち、校舎の下敷きになって死亡した学生の数は1万9千人にも上った。
「おから工事(手抜き工事)」や耐震基準の低さなどが指摘され、人災であるとして保護者や遺族が国を訴える動きや抗議活動なども見られた。
「学校、病院を最も安全な場所にする」
との目標の下、倒壊した学校3001校のうち2989校、医療機関も1362カ所中の1359カ所が既に建て直された。
地震の翌年2009年には被災地区のGDP成長率は15%に達し、工業出荷額、小売総額ともに3割増となり、現在では被災地区の基本的な生活水準や経済活動は震災前の水準を大きく上回っているという。
四川大地震発生の3週間後に、中国政府は大規模な財政出動策を決定。
さらに、甚大な被害を受けた四川省内18県(市)及び甘粛省、陝西省と、経済力のある省(市)を1対1の形で組み合わせて復興支援を担わせる「復興プログラム」を策定。
支援側の省(市)に、年間財政収入の1%以上を復興支援費用に拠出することを義務付けた。
経済力のある広東省、江蘇省、上海市、北京市など19省(市)が、被災地を3年間支援、大きな成果を上げた。
支援側省(市)の財政力によって不公平が生じないよう、被災の重さによって順に財政収入の高い省(市)が割り当てられ、主に住宅や学校、病院の再建を支援した。
東日本大震災復興を進める上で、これら中国の「決定の速さ」「アイデア」などは大いに参考になる。
日本でも、企業誘致のための税制の優遇措置や、病院や福祉施設の設置基準を緩和する規制緩和などが認められる復興特区制度がありこれを積極的に活用すべきだが、これまでに宮城県の「民間投資促進特区」など4件が認定されただけ。
特区による企業誘致は、雇用の確保などの波及効果があり、地域を再生する原動力にもなり得る。
特区制度をもっと活用できるよう、政府がリードし自治体につなげることが大切だ。
このままでは東日本大震災の復興は10年以上もかかってしまう。
大規模な復興事業が迅速かつ有効に作用すれば日本経済の復活にもつながろう。
<「コラム・巨象を探る」その15>
<「コラム・巨象を探る」はジャーナリスト八牧浩行(Record China社長・主筆)によるコラム記事)>
』
_
● 小高地区
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:12
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701095.html
東日本巨大地震:本紙特派員、禁断の地を行く
地震から1年、福島第一原発から14キロの地域を取材
放射能の数値は東京の100倍
押し流された車や崩壊した住宅は放置
25日朝、福島県の南相馬市役所から福島第一原子力発電所方向に車で十数分走ったところで、警察に制止された。
福島第一原発から半径 20キロ以内の地域は今も立ち入りが禁止されているため、本来なら許可がないと中には入れないが、通行許可証を所持する現地住民の車に乗っていたため、無事に検問を通過できた。
この地域は放射線のレベルが非常に高いため、一般人は立ち入りが禁止されている。
昨年3月11日の東日本巨大地震でマグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波がこの地に押し寄せ、福島第一原発で爆発事故が発生した。
その影響で放射性物質が放出したため、周辺は人が住めない土地となってしまった。
原発から10キロから20キロの範囲にある南相馬市小高区を訪れた。
小高区は地震、津波、原発の三重苦を一身に受けた地域だ。
車が福島第一原発の方向に向かうと、放射能の数値が急激に上昇しはじめた。
原発からおよそ14キロの地点に到達すると、放射能測定器の数値が6-7マイクロシーベルトにまで一気に跳ね上がった。
東京ではこの数値が0.05から0.07マイクロシーベルトだから、およそ100倍ということになる。
一時的な被爆なら健康にそれほどの影響はないそうだが、記者があわてて防護服を着用しようとすると、案内してくれた住民は
「この程度なら非常に低い数値だ」
と語った。
住民たちは自宅に残した貴重品や家財道具などを取りに、しばしばこのを訪れるという。
この住民は
「林の中だと20マイクロシーベルト以上になるところも多い。
原発周辺でも測定したことがあるが、その時は測定機器の限界(1000マイクロシーベルト)を超えた」
と語った。
この地域は東日本巨大地震と津波、原発の爆発事故直後から、時間が凍り付いたような風景が今も広がっている。
田畑には1年前の津波で流された車や建設用の重機などが、赤くさびたまま放置されていた。
ある住宅のリビングには、津波で流された車が飛び込んだままの状態になっていた。
1万2000人以上の小高区住民は原発事故後、全国に散らばって1年近く避難生活を続けている。
死者1万5860人、行方不明者3282人の被害を出した東日本巨大地震からの復旧は、今も各地で急速に進んでいる。
しかし、原発周辺から避難している15万人以上の住民は
「自宅には永遠に帰れないかもしれない」
という不安におびえている。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:17
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701136.htm
人影のない町、まるで恐怖映画
原発20キロ圏内の旧小高町
福島県南相馬市小高区(旧小高町)は、まるでゴーストタウンだった。
25日に現地を訪れると、雪が降り積もった通りや家々には人影はなかった。
町の入り口の低地帯は、まるで爆撃でも受けたかのように悲惨な状況で、東日本巨大地震の惨状を物語っていた。
そこには当時日本を震え上がらせた地震と原発事故の恐怖がそのまま残っていた。
車で町の中心部を通り過ぎると、崩壊した住宅が道路の半分ほどを塞いでいた。
屋根は原形をとどめているが、柱や壁は跡形もなかった。
ある工場では看板が崩れ落ち、無造作に転がっていた。
地震で工場や店の壁が崩れ、穴が開いている場所も多かった。
■慌てて避難した形跡
人影のない通りでは、赤信号だけが点滅していた。
白昼でも電気がついている店があったため、ドアをたたいてみたが、中には誰もいなかった。
店の内部はほこりをかぶっており、商品は散乱していた。
その様子から、避難当時の緊迫感が伝わってきた。
住民の多くは、昨年3月12日に福島第1原発1号機の建屋で起きた水素爆発の音を聞いて恐怖に駆られ、町を大急ぎで出て行ったという。
住宅街や工場にはきれいな車が止まっていた。
原発事故直後にガソリンがなく、そのまま放置された車もあった。
自転車ショップには新品の自転車がそのまま残され、シャッターも下ろさず、主人がいなくなった建物も多かった。
小高区だけでなく、周辺の双葉町や浪江町など20キロ圏内の地域は、全て似たような状況だった。
中心部から出ようとすると、空き巣狙いの泥棒を取り締まる警察のパトカーや、福島原発関連の作業車両とすれ違った。
警戒区域に入ってから初めて接した人影だった。
集落の郊外では、道路脇に倒木が放置されていた。
田畑は高さ1メートル以上にまで生い茂って枯れた雑草のせいで、どこがどこだか区別が難しかった。
記者に同行した現地住民は「夏には人の背丈ほどの雑草が家々を覆った」と話した。
郊外には放置された牛や豚を捕獲するために政府が設置したわなもあった。
牛がえさを食べると、扉が自動的に下りる仕組みになっており、政府はこうして捕獲した牛などを住民の同意を得て殺処分している。
原発事故以降に生まれ、所属農場の表示がない牛は即座に殺処分される。
■住民1万2000人が放浪生活
小高区に住んでいた住民約1万2000人は全員が避難生活を送っている。
福島県を離れ、別の地域に避難した人も多い。
小高区出身のサイトウサチコさん(48)は、昨年3月12日に避難して以降、5回も引っ越しを繰り返した。
最初は南相馬市内に避難したが、1週間もたたずに商店が閉まり、水も買えなくなったため、福島市に移動した。
現在南相馬市でアルバイトをしているサイトウさんは
「住民の約30%は南相馬市(の警戒区域外)にある自宅に帰れる日を待っている」
と話した。
小高区がある南相馬市は人口約7万人だが、原発事故で半数が別の地域に避難した。
事故直後には、放射能に対する恐怖で、外部からの物資供給が滞り、住民は苦境に立たされた。
桜井勝延市長は当時、ユーチューブの動画で
「われわれは孤立した。住民が飢えている」
と全世界に向けて支援を訴えた。
大地震発生からほぼ1 年、状況は少しずつ改善している。
原発から半径20キロの警戒区域のすぐ外では、24時間営業のコンビニエンスストアが営業しているほか、スーパーや飲食店、学校なども再開した。
道路には登下校する子どもたちの姿も見られた。
しかし、住民はできるだけ子どもを外出させないよう注意しているという。
住民のマサダエイコさん(45)は
「最近、原子炉の温度が再上昇したという報道があった。
原発事故はまだ完全には収拾できていないため心配だ」
と不安な心境を語った。
』
『
朝鮮日報 記事入力 : 2012/02/27 11:14
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/27/2012022701113.html
福島原発20キロ圏内で牛を守る
● 福島県浪江町にあるエム牧場浪江農場長の吉沢正巳さんが、飼育している牛を指差している。
昨年3月11日の大地震と津波発生以降、農場で働いていた従業員は全員避難したが、吉沢さんは牛にえさを与えるため一人残った。
吉沢さんは、爆発事故があった福島第1原発から半径20キロ以内に住む唯一の住民だ。
/写真=車学峰特派員
「わが子のように大切な牛を飢え死にさせることはできなかったんです」
東京電力福島第1原子力発電所から14キロ離れた福島県浪江町でエム牧場浪江農場を営む吉沢正巳農場長(58)は、事故から1年、農場を守ってきた。
吉沢さんは事故があった原発から半径20キロ以内に住む唯一の住民だ。
記者が取材に訪れた25日にも、吉沢さんはまるで何事もなかったかのように、牛にえさを与えていた。
農場では一時、放射線量が20マイクロシーベルトまで上昇。
現在は低下したとはいえ、6-7マイクロシーベルト前後の放射能が検出されており、通常よりも100倍ほど高い数値だ。
吉沢さんは昨年3月12日以降、福島原発から聞こえる爆発音で眠れない夜を過ごした。
当時、風は浪江町の方向に吹いており、住民は慌てて避難した。
同居していた弟、ほかの従業員も全員避難した。
しかし、吉沢さんは自分まで農場を離れれば、牛が飢え死にすると考え、会社の撤収命令を無視し、農場を守るために残ることを決心した。
事故発生から2週間後には一時避難したが、その日の夜にはすぐに戻った。
警察が制止したが
「牛が飢え死にしたらどうするのか」
と訴えかける吉沢さんを警察も止めることはできなかった。
吉沢さんは一時、避難所に宿泊し、農場に出勤する生活を送っていたが、昨年12月からは農場で寝泊まりしている。
農場では現在、牛300頭を飼育しているほか、周辺の農場で放置された牛の面倒も見ている。
住民が避難した畜産農家の牛は、冬を迎えて大半が餓死した。
牛をあきらめようとした会社側も吉沢さんの熱意に打たれ、放置された牛を救う運動に同調している。
最近は市民団体も加わり、エム牧場は原発周辺の家畜を救う「希望の農場」運動の象徴となった。
吉沢さんの活動は全国的に有名になり、日本政府も吉沢さんが警戒区域に立ち入ることを制止していない。
また、吉沢さんの熱意に感動した畜産農家からは寄付金やえさが届けられている。
日本政府は住民の同意を得て、原発から20キロ圏内の家畜の殺処分を進めている。
吉沢さんは
「政府はまるで何かを隠蔽(いんぺい)するかのように、家畜を殺している。
20キロ圏内の牛は飼育しても売ることは不可能だが、原発事故の後遺症研究などに活用できる貴重なものだ」
と訴えた。
全国から支援の手が差し伸べられる中、吉沢さんの農場には太陽光発電装置が設置され、インターネットも開通した。
吉沢さんは福島第1原発と農場を映すカメラを設置し、インターネットでライブ映像を発信している。
さらに吉沢さんは月に1回、東京で原発周辺での家畜殺処分防止を訴える集会を開いている。
吉沢さんが農場を留守にする際には、ボランティアが代わりに農場を管理している。
現地で会ったボランティアの人に放射線が怖くないかと尋ねると
「無謀ではないかと考えることもある」
と言いながらも、辞めるつもりはないとの回答が返ってきた。
原発事故以降、動物保護団体も警察の警戒ラインを越え、犬や猫の救出活動を展開している。
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レコードチャイナ 配信日時:2012年3月11日 13時5分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59481&type=0
日本を訪れた中国人、震災後1年で激増、
放射能漏れを心配する韓国人は減少
2012年3月10日、韓国紙・中央日報(電子版)によると、昨年の東日本大震災から1年間で日本を訪れた中国人の数は激増。
しかし韓国人観光客の数はいまだに回復していないという。
中国の環球網が伝えた。
今月1月に日本を訪れた中国人は13万8400人。
震災前の昨年1月に比べ、40%近くも増加。
震災直後に激減した中国人の訪問客数は昨年10月にプラスに転じた。
しかし、10年以上も日本の最大顧客だった韓国人観光客の数は回復していない。
震災直後の昨年4月、前年比で60%以上も減った韓国人訪問客数は、現在も前年比マイナス30%台。
11年も最多だったが、2位の中国観光客との差は大きく縮小した。
日本政府は観光客の誘致に必死だが、韓国人の反応はいまひとつ。
「日本は放射能で危険な国」
という認識を韓国人が変えないかぎり、訪問客数の回復は望めない。
最近ソウルで行われた調査では
「日本を観光しても問題はないと思うか」
という質問に対し、「問題ない」と答えた回答者はわずか26%で、在日韓国人の59%に比べて不安感が強いことが分かる。
また83%が
「日本を観光したいが、食品や空気中に含まれているかもしれない放射性物質のためにためらっている」
と回答。
このため日本の観光庁は
「放射能の危険性は福島原発周辺などの一部に限られ、食品などに問題はないということを積極的に広報していく」
と話している。
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朝鮮日報 記事入力 : 2012/03/09 13:24
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/09/2012030901355.html
東日本巨大地震:無責任政治に失望、無党派層が68%に
極度の政治不信広がる
「戦後最悪の危機だというのに、政治家は政争ばかり繰り返している」(35歳、会社員)
「自民党が嫌いで民主党に投票したが、かなり失望した。既成政党に期待することはない」(40歳、主婦)
東日本巨大地震と福島第一原子力発電所事故の収拾が遅々として進まない中、日本では政治全体が極度の不信を招いている。
朝日新聞が最近実施した世論調査で、民主党の支持率は17%まで低下し、自民党は12%まで落ち込んだ。
日本国民は、民主党の災害対応能力に失望している上、何かにつけて政府の足を引っ張る自民党に対しても、絶望同然の感情を抱いている。
時事通信による最近の世論調査では、「支持政党なし」という無党派層の比率が68.2%まで上昇した。1960年に世論調査が始まって以来、過去最高の数字だ。
■無責任の政治システムがむき出しに
東京大学の木宮正史教授は
「日本政治の特徴である“無責任のシステム”が、原発事故の収拾過程でむき出しになった」
と語った。
「無責任のシステム」とは、依然として太平洋戦争を起こした人物や責任を取るべき人物について究明しようとしないなど、責任と権限が不透明な日本政治の特徴を指す。
日本の国家システムは、頻繁に変わる首相が「国の顔」の役割を果たすだけで、実際には官僚が国家を動かすというものだった。
日本の高度成長を主導した官僚システムは、一時は世界最高水準という賛辞を受けた。
しかし、バブル崩壊後に動作不良に陥った官僚システムは、東日本大震災でそのもろさがはっきりと浮き彫りになった。
世宗研究所の陳昌洙(チン・チャンス)博士は
「官僚のマニュアルに基づいて維持されてきた日本の政治システムは、リーダーの決断力を要する危機の状況では全く機能しないことが証明された」
と語った。
■論文「日本の自殺」が再び流行
1975年に発表された「日本の自殺」という論文が、最近『文藝春秋』などに再び掲載されるなど、関心を集めている。
「日本の自殺」は、リーダーシップの危機などにより、日本が内部から崩壊すると主張する論文で、日本の現状を最も的確に予測しているとの評価を受けている。
こうした危機意識は、強力な指導者の待望論という形で噴出している。
関連書籍の出版が相次ぎ、田中角栄元首相(1972-74在任)に突然スポットライトが当たるという現象も起きている。
田中元首相は、収賄事件で有罪判決を受けるなど金権政治の象徴だったが、推進力と決断力の面では評価されている人物だ。
極右政治家に対する期待も高まっている。
産経新聞が最近「最もふさわしいリーダーは誰か」を問うアンケート調査を実施したところ、現役政治家の中では橋下徹・大阪市長(21.4%)がトップに立ち、石原慎太郎・東京都知事(9.6%)が2位となった。
橋下市長は、地域政党「大阪維新の会」の全国政党化を宣言しており、石原都知事は新党結成を構想中だ。
2人はいずれも、カリスマ性を備えた政治家と評価されているが、独断的かつ極右的だ。
中島岳志・公共政策大学院大学准教授は
「既成政党に対する絶望が、救世主待望論として表出している」
と分析した。
東日本巨大地震をきっかけに、日本の右傾化が加速しているという分析もある。
陳昌洙博士は
「自民党は、憲法を改正して天皇を国家元首にするという案を提示した。
景気の冷え込みに加え原発事故まで重なったことで、右傾化が加速しているようだ」
と語った。
東日本巨大地震以降に頻発している反韓流デモも、日本社会の極右化傾向を反映していると分析されている。
■首相公選論も台頭
強力な指導者の待望論が出回る中、次期衆院選での橋下新党・石原新党の躍進が予想されている。
野田佳彦首相の人気が急落しており、6月中の国会解散・総選挙も有力視されている状況だ。
木宮教授は
「既存の政党に対する不信から、新党が躍進するだろう」
という見解を示した。
政治システムそのものを改革すべきという主張も出ている。
上院に当たる参議院を廃止し、国民が首相を直接選ぶ公選制を導入しようという意見だ。
橋下市長は
「議員が首相を選ぶ今のシステムでは、誰が首相になってもリーダーシップを発揮できない」
と主張する。
しかし、木宮教授は
「日本は没落・衰退の渦中にあり、大きな改革は難しいだろう」
と語った。
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レコードチャイナ 配信日時:2012年3月12日 6時34分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59413&type=0
<コラム・巨象を探る>
3年で復興完了した「四川大地震」の経験生かせ
―遅々として進まぬ東日本大震災復興
2012年3月11日、東日本大震災から1年が経過したが、復興は思うように進んでいない。
がれき処理など課題が山積し、被災地再生の具体化はこれから。
34万人余りが全国各地に避難し、仮設住宅などで不自由な生活を送る。
2008年5月に発生した中国・四川大地震では3年で復興終結宣言が出たが、この事例に比べはるかに遅いと言わざるを得ない。
未曽有の大地震は日本経済に大きな打撃を与えた。
死者・行方不明者は約1万9千人。復興費用は10年間で23兆円と推定されている。
震災による企業の損失は東証一部上場企業だけで3兆1千億円。
全体の被害額は計り知れない。
東日本大震災関連の企業経営破綻は677件にのぼった。
1995年の「阪神・淡路大震災」が発生から丸1年で152件だったのと比べ4倍強に膨らんだ。
政府の司令塔となる復興庁が発足したのは地震発生から1年近く経った2012年2月中旬。
東北3県の震災がれきは約2250万トンに達するが、ほとんどは被災地の仮置き場に積まれたまま。
多くは自治体のまちづくり計画に組み込まれた場所で、処理の遅れは復興に大きく影響する。
政府は自治体にがれきの受け入れを呼び掛けているが、正式に引き受けたのは東京都と青森、山形両県だけ。
大半の道府県では住民の反対によって拒否され、
日本人の美徳「絆」に疑問符が付く
事態となっている。
復興関連予算の執行が遅れていることも問題だ。
4次までの補正予算に計上された14兆3400億円のうち執行されたのは6割程度。
政府は、地方自治体への総額1兆8500億円の復興交付金の第1弾として、2509億円の配分を決めたが、被災自治体からは
「政府の査定が厳しく通常のひも付き補助金と変わらない」
との不満の声が出ている。
各種世論調査では、復興が「進んでいない」と見る人が80%前後に達し、東北被災地ではこの数字がさらに跳ね上がる。
その原因については、
「原発事故の影響」
「被害の規模と範囲の大きさ」と並んで、
「政府の対応に問題」
との回答が目立つ。
政府・与党は、これらの数字を重く受け止め、復興事業の加速に全力を挙げるべきである。
被災者は一日も早い復旧・復興を望んでおり、政府には、もっと被災者や自治体に密着した対応が求められる。
2008年5月12日に起きた中国・四川大地震。死者が9万人に上り、家屋の倒壊21万6千棟、損壊家屋は415万棟にも達した。
四川省西部の被災地では、震災の傷跡を感じさせないほどの復興を遂げた。
2011年9月時点で国の復興再建プロジェクトの完了率が98.7%に達し、四川省の103に上るプロジェクトもほぼ終了し、「復興完了宣言」も出された。
四川大地震発生後の3年間で540万世帯、1200万人以上が居住する住宅が建設された。
同地震では学校校舎の倒壊が目立ち、校舎の下敷きになって死亡した学生の数は1万9千人にも上った。
「おから工事(手抜き工事)」や耐震基準の低さなどが指摘され、人災であるとして保護者や遺族が国を訴える動きや抗議活動なども見られた。
「学校、病院を最も安全な場所にする」
との目標の下、倒壊した学校3001校のうち2989校、医療機関も1362カ所中の1359カ所が既に建て直された。
地震の翌年2009年には被災地区のGDP成長率は15%に達し、工業出荷額、小売総額ともに3割増となり、現在では被災地区の基本的な生活水準や経済活動は震災前の水準を大きく上回っているという。
四川大地震発生の3週間後に、中国政府は大規模な財政出動策を決定。
さらに、甚大な被害を受けた四川省内18県(市)及び甘粛省、陝西省と、経済力のある省(市)を1対1の形で組み合わせて復興支援を担わせる「復興プログラム」を策定。
支援側の省(市)に、年間財政収入の1%以上を復興支援費用に拠出することを義務付けた。
経済力のある広東省、江蘇省、上海市、北京市など19省(市)が、被災地を3年間支援、大きな成果を上げた。
支援側省(市)の財政力によって不公平が生じないよう、被災の重さによって順に財政収入の高い省(市)が割り当てられ、主に住宅や学校、病院の再建を支援した。
東日本大震災復興を進める上で、これら中国の「決定の速さ」「アイデア」などは大いに参考になる。
日本でも、企業誘致のための税制の優遇措置や、病院や福祉施設の設置基準を緩和する規制緩和などが認められる復興特区制度がありこれを積極的に活用すべきだが、これまでに宮城県の「民間投資促進特区」など4件が認定されただけ。
特区による企業誘致は、雇用の確保などの波及効果があり、地域を再生する原動力にもなり得る。
特区制度をもっと活用できるよう、政府がリードし自治体につなげることが大切だ。
このままでは東日本大震災の復興は10年以上もかかってしまう。
大規模な復興事業が迅速かつ有効に作用すれば日本経済の復活にもつながろう。
<「コラム・巨象を探る」その15>
<「コラム・巨象を探る」はジャーナリスト八牧浩行(Record China社長・主筆)によるコラム記事)>
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2012年2月25日土曜日
「名もない絆」:ゴールドコースト
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